白赤柴日記

「バツイチ中年男が柴犬と暮らし始めた理由【孤独を救った出会い】」

1人では生きていけなくても、犬が一緒なら生きていける時もある

オレは子供の頃からたくさんの犬と出会い、多くの時間を過ごしてきた。

家族もいて、友達もいて、経済的にも人生の未来にも不安などどこにも無い幸せな人生のひと時をより幸せにするために迎え入れられた犬との出会いだった。きっと、普通はそんな出会いなんだろう。

世間でよく言われている犬を飼う事の出来る人の条件は、「犬を飼える環境」に住んでいて、「経済的にも余裕があって」、「犬をきちんとお世話する時間」が確保できて、「家族も自分以外に誰かがいる人(単身は不可)」。この条件をクリアしていない人が犬を飼うと、人も犬も不幸になるだけだからやめておきなさい!と世間では言われている。でも人は、自分が不幸のどん底にいる時に犬と出会い、犬に癒され、犬と共に人生の再出発を誓い、犬と共に二人三脚で人生を歩み出す事だってある。

オレがまさにそうだった。世間が犬を飼ってもいいよ!という幾つかの条件の中では、「犬を飼える環境」くらいしかクリアしていなかった。でも、柴犬(以下、白柴と表現)暮らし始めた。結果、今はとても幸せな毎日を暮らす事が出来るようになった。

ただ、世間が「やめておけ」と言うことをやる時は、それなりの覚悟が必要。中年の独身者がこれから犬を飼うのならば、おれが白柴をお迎えする前に決めた覚悟を知っておいて欲しいと思う。

中年の独身男が白柴を飼うには覚悟が必要

  1. 「この子を最期まで面倒みる」ことだけは絶対に貫く

     – どんな病気になっても、どんなにお金がかかっても、命を迎えた責任として最期の時まで見届ける覚悟をした。

  2. 孤独を埋める道具には絶対にしない

     – 「寂しいから犬を飼う」は入り口としては自然でも、その関係性のままではお互いが不幸になる。

  3. 一人で育てるということは、全部ひとりで抱える覚悟がいる

     – 誰かが手伝ってくれることはない。病院に連れていくのも、散歩に行くのも、トイレの後始末も、全部オレ一人。だからこそ、白柴の一つ一つのしぐさや成長を心から愛せるようになった。

  4. オレ自身が変わる必要があると覚悟した

     – 白柴の健康のために早寝早起きをし、食生活も変えた。だらしない自分をやめて、“誰かのために生きる自分”に変わった。

  5. いつかくる別れを受け止める覚悟

   – 白柴の命はオレより短い。その日がいつか必ず来る。だからこそ、今日を悔いなく過ごすという意識で毎日を大事にする覚悟を持った。

 

柴犬(白柴)との出会いは人生のドン底のタイミング

どん底と言えるような人生最悪なタイミングが、だいたいの人の人生で何回かは訪れる。

40歳過ぎの時に、オレにも1回目の人生のドン底(離婚とか…)が訪れた。そんなこんなで、1人ぼっちになった家の中で「普段の暮らしを続ける」ということが、とても辛かった。住宅ローンがたんまり残っている家に縛り付けられながら生きるしかなかった。

そんな状況だと、「この世から消えてしまいたい!」という心の奥底からの不思議な引力に引っ張られた。本当に消えてしまいそうに思えてきて「消えてたまるか!」と必死に強がってあがらっている頃、昔お世話になった柴犬のブリーダーがインスタで子犬が生まれたよ!って写真をUPしたのを偶然見かけた。このタイミングで生まれた子犬なら運命なんじゃ無いか?神様がくれたチャンスなんじゃ無いかと思い、すがる想いで子犬の見学の予約電話を入れた。

そして見学に行った時、何匹もいる子犬の中の1匹が…なんともありえない話ではあるんだけど、「寂しいの?一緒にいてあげる!」と話しかけてきた。まあ、その時は重度のうつ病だったから…聞こえちゃったんだ。

それが白柴との出会いで、白柴との共同生活の原点。

オレ1人で犬を育てられるのか?という不安はあったが、上記の犬を飼う覚悟を持って白柴を迎え入れる事にした。

もしも、白柴を見捨てなければ人生が終わってしまうと言う時が来たら、そんな時は何も考えずに白柴と一緒に人生を終わらせようと心に決めた。

犬とは本当の家族になる

この白柴は、テレパシーでオレの脳に直接「寂しいの?一緒にいてあげる!」と言ってきただけあって、我が家に来てからの5年間ずっとオレと一緒にいてくれた。

たくさんの苦楽を共にしてきた。

毎日寝起きを共にしてきた。

同じ釜の飯は食ってはいなかったが、一緒の時間にご飯を食べた。

毎日、雨の日も風の日も、クソ暑い日もクソ寒い日も、朝夕の散歩を必ず1時間ずつしてきた。

イタズラをした時は叱りつける事もあった。

腹が痛そうにしている時は、うんちがしたいから外に連れてけと夜中に何度も起こされ、公園に連れて行ってやった。

オレが仕事に行ったら帰ってくるまでの間、お利口にお留守番をしていた。

オレが帰ってくると心の底から喜んでくれた。オレもその姿を見て嬉しくて抱きしめた。

オレが精神的に病んでいる時には黙って隣に居続けてくれた。

オレが精神的に上向きの時は、一緒にたくさんお出かけをして、一緒にたくさん写真を撮った。

そんな毎日を過ごしていて心が通わないわけがない。

オレと白柴は完全に家族になった。

孤独な独身の男は、おそらく犬との相性は抜群だと思う

白柴と暮らしてくて思ったことは、犬は非常に嫉妬深い。オレが他の犬を触ると、白柴は嫉妬からその犬に噛みついてしまう。

家の中では柴距離と言われる柴犬独特の一定距離を保ちながらオレと暮らしている。柴距離を保ちながら目線はずっとオレを見ている。目が合うと嬉しそうにするので、撫でてやろうとすると嬉しそうに逃げていく。そして、逃げた先からずっとオレを監視している。そこで、目が合うとまた嬉しそうにしている。

白柴は常にオレが見える場所で寝ている。

つまり、何が言いたいのかと言うと、犬はとても孤独を嫌う生き物なんじゃないかなと言うこと。

犬は人間の気配を感じ、人間に意識を向けられる事に安心を覚えるようにできている生き物なんだと思う。友達も家族もいない犬しかいない孤独な男は犬から見て最高の飼主なんじゃないかな?

最後に

恐らくだけど、今一緒に暮らしている白柴と赤柴が人生最後の犬になると思う。

この2匹が天寿を全うしてくれたとしたら、その時オレは60歳位。犬の寿命は20年は考えておきたい。60歳で飼い始めれば80歳まで入院もせず元気いっぱいに生きなくてはいけない。さすがにそんな自信はない。さらに、オレは独身で子供無し。オレがくたばれば犬に地獄を見せてしまう事になる。心を通わせ家族と思える犬に地獄を見せる可能性を知りながら、新しく犬を迎えることはオレにはできない。

独身の男が犬を飼う最後のタイミングはアラフィフなんだと思う。中年で犬を飼い始めると言うことは、犬と共に歳を取って、犬と共に衰えていき、犬の最後を看取ってやると言う事になる。それ以降は、普通に考えて犬が先か?飼い主が先か?の本当の意味のデッドレース。

だからこそ、もし、孤独・中年・男が犬を飼おうかどうか迷っているのなら、その迷っている時間も、実はそんなに無いのだと言う事を知っておいてほしい

犬は人生ドン底にいたオレの命綱だった。

だからオレは今日もこの2匹に「ありがとう」と思いながら、少しでも長く一緒にいられるように、ちゃんと歩いて、ちゃんと食って、ちゃんと生きる。

次回は、赤柴との出会いについて書いてみようと思う。

 

白柴と赤柴の日常

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