他人事ではない・・・「犬の安楽死」
オレが過去に飼ってきた犬達はみんな眠るように死んでいった。死に至る病気や怪我で苦しみながら・・・という事は無かった。
なので、オレ自身が愛犬の安楽死に立ち会った事は無い。
そもそも、オレが子供の頃は「安楽死」という言葉自体が今ほど一般化していなかったように記憶している。
最近はSNS等で「愛犬の安楽死を選択した」という書き込みをよく見るようになった。
飼主側の愛犬に対する意識の変化と、犬の医療の発達によって「犬の安楽死」が必要になったのかもしれない。
オレも2匹の柴犬を飼っている愛犬家として、「犬の安楽死」がどんなものなのか知っておく必要があると思い調べてみた。
犬を飼っている方には、是非、最後まで読んでいただいて参考にしていただければと思います。
イギリスの「犬の安楽死」の考えかた
ちなみに、イギリスでは「人間の安楽死」は完全に違法なんだ。
→積極的安楽死(致死薬を医師が投与して死なせること)と、医師幇助自殺(致死薬を自分で服用することを医師が助ける) は 違法
ただし尊厳死(延命治療の中止や拒否) は合法。
例:人工呼吸器を外す、延命点滴を止めるなど「治療をしない選択」は認められる。これを「Passive euthanasia(消極的安楽死)」とも呼ぶが、
積極的に命を終わらせる行為は違法、延命治療をやめる選択は合法 というスタンスの国なんだ。
人間とは打って変わって、「犬の安楽死」は犬の死亡理由の9割を占める。
なんで動物愛護の国であるイギリスで「犬の安楽死」が多いのかを調べてみた。
1. 「苦しませないこと」が最優先の価値観
- 動物福祉(Animal Welfare)の基本は「動物を不必要に苦しませないこと」
- イギリスでは「延命=必ずしも幸せ」ではなく、苦痛が長引く方が残酷と考える
- だから「自然死を待つより、眠るように逝かせる方が“優しい”」と受け止められる
2. 尊厳ある死(Dignified death)の考え方
- 「尊厳死」「ホスピスケア」など人間医療で根付いている価値観がペットにも反映
- 「ボロボロになって生かすより、 dignified(尊厳ある)死を選ぶ」
- 動物も人と同じ“尊厳”を尊重する文化がある
3. 医療を尽くすことと安楽死は矛盾しない
- イギリスでは「治療を尽くしたうえで、苦しみを減らす最終手段=安楽死」つまり、 “最後までケアすることの一部”として安楽死がある
4. 飼い主の罪悪感が少ない
- イギリスでは「安楽死=苦痛を取り除いた」「最後まで責任を果たした」と前向きに捉えられる
-
イギリスでは安楽死の選択は罪では無い
愛犬の安楽死のタイミングを考える
日本では、愛犬の安楽死は、日本獣医師会の指針で「回復の見込みがなく、動物が強い苦痛にさらされている場合にのみ」というガイドラインが厳格に設定されているんだ。
つまり「安楽死=最後の最後の手段」という位置づけということになる。
なので、獣医師が安楽死を提案してきた場合や、飼主が獣医師に安楽死をお願いして受けてもらえた時は、タイミングとして早すぎるという事はないという事。
あとはどの段階で飼主が愛犬を苦痛から解き放ってあげる気になるかの判断だけになる。
オレならの話なんだけど、愛犬が治る見込みもなく、強い痛みや苦しみで悶え続けていたら、迷う事なく安楽死を獣医師にお願いする。
オレもアラフィフになって考え方が変わったのかもしれないけれど、治療しても回復の見込みがない状態で苦痛に耐え切って死ぬのを待つというのは、オレだったら御免被る。
死ぬ前に挨拶をしておきたい人にだけ挨拶をして終わりにしたいと考えるようになった。
オレは愛犬の飼主。愛犬達の主人なのだ。愛犬達との最後の挨拶が終わったら、楽にさせてやるのが主人の仕事だと思っている。
日本での「犬の安楽死」の方法と費用
現在、日本の動物病院で行われる安楽死は 獣医師が薬を用いて苦痛なく死を迎えさせる方法 に限定される。
一般的な流れ
1.鎮静剤・麻酔薬の投与
- まず強い鎮静剤を打って、犬が眠ったような安らかな状態にする。
- 飼い主が見守りながら最期を迎えられるように配慮される。
2.麻酔の深化(全身麻酔レベル)
- 意識・痛みの感覚が完全になくなる。
- この時点で眠っているため、犬は苦しみを感じない。
3.致死薬の投与(静脈注射)
- バルビツール酸系薬剤などを投与して心臓を止める。
- 数分以内に呼吸・心臓が停止し、安らかに旅立つ。
👉 「眠るように逝く」と表現されるのは、この手順のおかげ。
犬の安楽死にかかる費用(日本)
病院・犬の大きさ・地域によって幅がありますが、一般的な目安は以下の通り。
- 小型犬:1〜2万円前後
- 中型犬:2〜3万円前後
- 大型犬:3〜5万円前後
日本で安楽死=悪と考えてしまう理由を考えてみた
日本人が犬の安楽死後に後悔する主な理由は、
1. 「まだできることがあったのでは」という思い
- 日本では「自然死を看取る」文化が根強い
- 安楽死後に「もう少し一緒にいられたのでは?」「治療や介護を続ければ…」と後悔する飼い主が多い
👉 選択が早すぎたのでは という罪悪感
2. 「自分が殺してしまった」という罪悪感
- 安楽死=自分が命を奪った、と感じやすい
- 医師の判断のもとでも「決断したのは自分」と捉えてしまう
👉 自分の手で愛犬を殺してしまった という感覚が後を引く
3. 周囲の理解不足
- 家族・友人から「自然死を待つべきだった」と言われて傷つく
- 日本社会では安楽死への理解が浅く、肯定的に受け止められにくい
👉 周囲の目を気にして後悔が増す
4. 亡くなる瞬間のイメージが強烈に残る
- 安楽死は「眠るように逝く」と言われるが、薬の投与による呼吸停止の過程は飼い主にとって衝撃的
- 穏やかに見えても「その瞬間」を見届けること自体がトラウマになるケースもある
👉 最後の姿が頭に焼き付いて離れない
最後に・・・
決して愛犬は安楽死を望んでいると言ってくれるわけでは無い。だから獣医師と飼主の第三者の判断になってしまうというところに問題があるんだ。
愛犬の命を人の意思で絶ってしまう事が本当に正しかったのかという疑問が、飼主的にも社会的にも背徳感を生んでしまうんだろうな。
実際にオレが愛犬の安楽死の判断をして、全く後悔が生まれないかと言ったらそんな事はない。
ただ、日本には「情け」という考え方が古くからある。
現代では優しさや思いやりといった意味だけど、江戸時代で「人としての心」「同情」「助け」「愛情」など広義の意味で使われていた。
そして、ときには「死を楽にしてやること」も「情け」と表現された。つまり「情け」という言葉は「相手の苦しみを思っての行為」全般を指してた。
日本人の心の底には「情けをかける」という、人生最後の苦痛をとってあげたいという文化がある。
この考え方がオレには最近しっくりきてるんだ。
だから安楽死は“悪”ではなく“情け”の一形態だと思う。