結論:犬が散歩する公園は必ず環境が悪化する
オレは愛犬家だけど、公園の犬禁止は正解だと思っている。
犬の糞尿、鳴き声、抜け毛、おトイレ姿──ゼロにはできない。
みんなに迷惑をおかけしながら、でも「犬と一緒に公園を歩かせて頂きたい」というのがオレの本音。
だから胸を張って「利用させろ」とは言えない。
その矛盾を抱えたまま、愛犬家は社会と折り合いをつけるしかないんだ。
鎌倉市だけじゃない!犬禁止の公園
自治体/場所 |
犬禁止の状況 |
備考 |
鎌倉市 |
街区公園ほぼ全域で禁止 (犬OK12箇所) |
安全確保のため恒久措置 |
仙台市(七北田公園など) |
犬の立ち入り禁止 |
衛生・安全理由から |
長野市 |
市内ほとんどの公園で禁止 |
条例制定後見直しの議論も |
南長野運動公園 |
原則禁止、一部エリアは散歩可 |
市民要望で改善中 |
大山崎町(京都) |
犬禁止を解除(条件付きで可) |
リード・糞持ち帰りルールを導入 |
思っていたより少ない印象。
これから先、愛犬家達は数と声の大きさで犬の公園利用許可を求めていく。
多数決の原理に行政は従わざるをえない結果、犬禁止の公園が減っていくのは予想できるが、それが正しいのか?オレは疑問に思う。
愛犬家であるオレが言うのも変なんだけど、一部の愛犬家は相当モラルが低く、そしてマナーも悪い。
今まで守られてきた公園の環境が、この一部の相当マナーの悪い愛犬家によって破壊されるのが、オレには容易に想像できてしまうんだ。
犬嫌いの思考を分析
犬嫌いは、社会に一定数存在している。調査によれば 全体の2〜3割 が犬を苦手、あるいは嫌いと感じているんだ。
その理由は「恐怖体験」「不潔感」「騒音」「アレルギー」「価値観の違い」などさまざま。
そんな犬嫌いの人からすれば、犬禁止の公園を犬OKにするメリットなど何処にも無い。
少数派の意見が大事だとよく言うが、こう言った時は多数決で押し切るのがこの国の悪いところ。
犬嫌いと犬好きは水と油だから理解しあえないけど、犬嫌いの思考を知っておくべき。
犬嫌いから見た愛犬家は、ほぼ「半グレ集団」
犬嫌いな人は、客観的にみていると本当によく我慢をしている。
全体の2〜3割程度が犬嫌いという事は、犬の散歩をして10人すれ違えば確率的には犬嫌いの人が何人かはいることになる。
オレ自身、犬のうんこが落ちていると気分が悪くなるし、子供の遊具にマーキングさせている飼主を見ると「オイオイ💦」って思ったりする。
極め付けにはノーリードで遊ばせているモラルもマナーも無い底辺飼主もしょっちゅう見る。
愛犬家のオレですらこう思うという事は、、、犬嫌いの人はもっと嫌な思いをしているんだと思うと考えさせられる。
モラルもマナーも無い底辺飼主に注意をすると、誤魔化すか、誤魔化しきれない時は逆ギレするか逃げるかすると思う。
そんな半グレオーラを全開で出しているから注意もしずらい。だから黙っているしか無いって現状がある。
犬嫌いな人から見た「半グレ感」をまとめてみた
• 公共マナーを無視する姿
ノーリード、うんちを放置、すれ違いの時に犬を引き寄せてくれない→ 「自分の楽しみ優先で、周囲は眼中にない」って映る
• 声が大きい・自己正当化が強い
「うちの子は噛まないから大丈夫!」「犬嫌いの方が心が狭い!」→ 犬嫌い・苦手の人権無視、「犬=かわいい」の価値観を押し付けてくる
• 愛犬家の縄張り意識の強さ
散歩コースで公園利用や周辺の「常連の圧」を出す → これ、外の人にはまさに“排他的な集団”に見える
注意をした時の半グレ愛犬家の反応
逆ギレ型
「うちの子は大丈夫だから!」
「お前には関係ないだろ!」
→ 他人の不安を無視して、ルール破りを意味不明な理屈で正当化。
とぼける型
「あ、気づかなかった」
→ 実際はわかっててやってるのに、慣れた口調で責任回避。
被害者ぶる型
「犬嫌いの人って心が狭いよね」
→ ルールを破っている側のクセに、逆に正論を言う相手を攻撃する。
ルール違反をしているのに「オレ流が正しい」「注意する方が悪い」って態度を本当にとっているのを目の当たりにした事がある。
犬嫌いから見たら…犬も怖いし、“ルールを守らない飼い主”も怖い。
ノーリード=「いつ噛まれるかわからない」という恐怖。
だから「この人たち、隠れ半グレだ」と思われても仕方ない現実がある。
犬が出入りする公園はほぼ荒れる
「安全面や衛生面で必ずと言って犬は悪い影響しか出さない」と言うのがオレの持論。
と言うのも、
- 多くの愛犬が普通に口輪を付けずに歩いている→咬傷事故が起きる可能性は否定できない
- オシッコとウンチをさせないような工夫はしていない→オシッコとウンチで衛生面が悪化
- 愛犬の抜毛の飛散対策をしていない→抜毛の影響で環境悪化
- リードを離して遊ばせる→愛犬家のモラルとマナーの崩壊レベル なんでもありの状態で公園荒れ放題
…という現実がある以上、『犬が公園を荒らしている』ことは否定できないと思うんだ。
飲酒運転の厳罰化しても飲酒運転が無くならないように、どんなにルールを設定しても、犬のマナー違反に対して厳罰化しても犬が公園を出入りする以上は公園が荒れるのは当たり前なんだ。
ちなみに人間も同様。ゴミをゴミ箱以外に平気で捨てて行ったり、タンをそこらじゅうに吐いたり、公園を破壊したりする子供がいたり。
犬だけじゃなく、公園の環境を消費するだけしか意識が無い人間が多い事も併せて書いておく。
客観的に見れなくなったら人として終わり
オレの家の近くに手入れが行き届いていて素敵な環境の公園がある。
そこの公園の環境が維持されているのは、近所に住む数名のおばあちゃん達がボランティアで朝から夕方まで毎日公園の手入れをしてくれているから。
毎日、公園を利用する人たちが、弁当やお菓子、ペットボトルや缶のゴミを放置、犬のウンチや犬のブラッシングをしてそのまま放置して行ったものを文句を言いながらキレイに毎日片付けて掃除してくれているんだ。
犬の公園禁止に対して愛犬家は公園の利用の権利ばかり主張しているけど、公園の維持管理の公平負担は決して考えない。
客観的にみて、迷惑をしている人がいることを理解できなくなったら、本当に人として終わりなんだ。
犬を飼うという事は社会に少なからず迷惑をおかけしているという意識を持たなければ、愛犬家と社会との共存はできないと思う。
だから「お邪魔させていただいている意識」を忘れずに、おれは今日も公園を散歩をする。