白赤柴日記

お盆に考えた、愛犬の遺骨供養。独身ひとり暮らしの私が選ぶ最後の形

お盆は「ご先祖さま」と「歴代の犬+ワン」との思い出に浸る

お盆が近づくと、オレは覚えている限りのご先祖さまと、自分の家で飼っていた犬、子供の頃に通学路でいつも遊んでもらっていた近所で飼われていた犬のことも思い出すようにしている。なぜかというと、「人はいつ死ぬと思う?・・・」「人に忘れられたときさ・・・!!!」という、某漫画の名言がその通りだと思っているからなんだ。

パッとしない子供だったオレに、いつも尻尾をブンブン振って迎えてくれた、通学路のあの犬。元気をくれて、心を救ってくれた。

「今ごろは、生まれ変わって、また良い犬生を送ってくれているだろうか」──そう祈らずにはいられない。

そしてふと、今そばにいる白柴と赤柴を見ながら思う。ひょっとすると、あの時の子たちが生まれ変わって、どん底のオレを救いに来てくれたんじゃないのか?

そう思うと、目頭が熱くなってきちゃうんだな・・・

オレの「人生の歴代の犬の遺骨」は一つもない

子供の頃、我が家には犬の遺骨という概念がなかった。我が家には限らず、愛犬の遺骨が置いてある家なんてオレは見たことがなかった。

犬が死んだら地域の動物火葬場で焼いてもらい、骨は返却されない。それが普通だった。

だから、歴代のわんこの遺骨は一つも残っていない。

けれど今は違う。

ペットも家族。骨壷や仏壇に収めたり、一緒に眠ることを望む人も珍しくない。

そして、この「遺骨をどうするか問題」は、お盆を迎えるたびに私の頭をよぎる。

今一緒に暮らしている白柴と赤柴は、子犬の頃からの世話をすべてオレ一人でやってきた。もはや我が子と言っていいくらいの存在。

オレにとって非常に残酷だけど、白柴と赤柴を我が子だと思っても、白柴と赤柴はオレより先に旅立つ。そうでなければ、彼らに地獄を見せてしまう。

その日が来たら、きっと自治体の火葬場ではなく、ペット専用の火葬場で火葬してもらい、遺骨は全部返してもらう。だって我が子だから。

遺骨をペンダントにして、肌身離さず一緒にいたいと本気で思っている。オレが死ぬその瞬間は絶対に白柴と赤柴と一緒。白柴と赤柴と離れて死ぬのはなんか嫌なんだ。

「一緒に燃やしてくれ」なんて遺言も、「一緒に樹木葬へ」という願いも、誰かが叶えてくれる保証はない。

それが独身一人暮らしの悲しい現実。

世間の愛犬の供養事情

(出典:イオンペット株式会社「ペット葬儀・供養に関するアンケート調査」2023年)

愛犬が死んだ時に、世間がどのようにしているのかをざっくりと調べてみた。

火葬の種類は?というアンケート結果

個別火葬 約75%   

共同火葬約 25% 

これはわかる。愛犬の遺骨を引き取りたい=個別火葬意外に選択肢はない。

オレの希望は個別火葬で立会い。オレ調べでは3〜4万円程。

引き取った遺骨をどうしたか?というアンケート結果

自宅供養 約30%  

自宅以外の場所への納骨供養 約60%   

自宅供養が30%という結果は、オレは意外と少ないという印象を受けた。オレなんかは、遺骨になったとはいえ、オレもいない、住み慣れた家でもない場所に置いて行ってしまったら死んだ愛犬が寂しがってしまいそうで、そもそもオレも寂しくて仕方がない。世間でいうと、この時点でオレは少数派という事になる。

自宅供養をする人に、「自宅供養の後は?」というアンケート結果

最後まで自宅供養をする 約30%  

自宅以外(故人、自分の墓、ペット霊園、散骨)で供養 約40%  

わからない 約25%

自宅供養でしっかりペットとのお別れをした後に自宅以外での供養をするという考えの人の割合が約40%と多い印象。わからないという人の気持ちはすごくわかる。きっといつ自分の気持ちの整理がつくかわからないって事なんだろうな。

オレと同じ最後まで自宅供養をする人の割合が約30%。遺骨を引き取って最後まで自宅供養を続ける人は全体の7%しかいないらしい。オレはかなりの少数派なのがわかった。

愛犬の供養方法は飼主の家族構成・年齢によって変化する

20代の若い人・中年・60代の人の愛犬の供養の仕方は変わってくる。

宗教や無宗教だったりでも当然変わってくる。

若い人であれば、愛犬だったとはいえ、これからの人生で得ていかなくてはいけないものが多いのだから自宅供養を続けるというのはナンセンス。

若い人が愛犬の供養で迷っているのなら、オレなら、できる事なら散骨などでお金もかからない、遺骨を持ち続けない、思い出を持ち続けるお別れをする事を進めると思う。

逆に、自分の人生の最後の愛犬だったりする場合は、自分の人生の最後まで自宅供養をしながら一緒に過ごすという事なのかも知れい。

愛犬の遺骨を引き取る事がなかった時代を生きてきたオレの考え

愛犬の遺骨も遺品も写真もないが、脳内に記憶された思い出がしっかりあるのであればそれで十分だと思う。

時代が変わり、愛犬が本当の家族として人間と暮らすようになった。その結果、愛犬の供養をしっかりしたいという人が増えただけ。

逆に、本当の家族の人間が葬式をすっ飛ばしての直葬だったり、直葬後の遺骨を引き取らずに行政に全てお任せしたりする人が増えてきている時代。

何をするにもお金と時間がかかる。お金と時間をかけることは、お金と時間がある人だけが出来ること。

形にとらわれずに、若い人は前だけを向いて元気に、愛犬の思い出と一緒に未来へ進んでいってほしいのがオレの考え。

アラフィフ 独身 一人暮らしのオレの供養方法

あまり考えたくはないが、白柴と赤柴が死んだ時、供養をしてやれるのはオレだけだから、悲しみのあまり動けないでは絶対にいけないんだ。

だから、あらかじめどうするかは決めておく事にしてるんだ。

個別火葬で火葬。遺骨を引き取って、一部はペンダントに。その他は、心の中でしっかりとお別れを済ました後、散骨をしようと思っている。

ペンダントはオレが死ぬまで肌身離さず身につけるつもり。

散骨の場所は・・・まだ決めてない。これからの、白柴・赤柴とたくさんの旅を経て、一番思い出深い場所にしようと思っている。

オレと白柴と赤柴が絶対に忘れないような思い出の場所を見つけられるといいなと思いながら。

白柴と赤柴の日常

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