炎天下での車内に4時間放置
今年の7月、岐阜県のショッピングモールで炎天下の車内の中に愛犬を4時間放置し犬を衰弱させたとして、動物愛護法違反の疑いで50代の男性飼主を書類送検した事件があった。
炎天下での車内閉じ込めや、炎天下で日陰もろくにない場所での外飼い、飼育放棄しているとしか思えないような虐待飼育が時々ニュースになっているが、そう言ったニュースを聞くたびにオレは心の底から怒りを感じる。
少し昔の話なんだけど、オレの近所で日陰のない場所で飼育されていた若いジャックラッセル(そもそも外飼いで飼うような犬か?)がいて、夏に差し掛かった頃から、日に日に衰弱していき死んでしまったという事があったんだ。当時のオレは心配でならなかったが、人の犬の飼い方に文句を言えば近所トラブルになってしまうとビビってしまい、結果、衰弱していくジャックラッセルに対して何もできなかった。
今回のニュースでは車内に閉じ込められている犬を心配して通報した方がいてくれたおかげで、犬は衰弱はしていたが命には別状はないとの事。
今回の事件を起こした50代男性飼主とオレの近所に住む虐待飼主の人物像がリンクした
こうした“危険な飼主”はなぜ生まれてしまうのか?
単なる「馬鹿だから」では片付けられない背景があるとおもう。
危険な飼主に共通する4つの特徴を解き明かし、その頭の中に潜む危険な思考をのぞいてみた。
危険な飼主に共通する4つの特徴
1. 孤立している
危険な飼主には、アドバイスや指摘をしてくれる友人や家族がいない事が多い。
普通なら「そんなことするな」「危ないぞ」と誰かに止められるはずの行為が、孤立していることで誰にも正されない。
その結果、「これまでも大丈夫だったから今回も大丈夫だろう」という危険な自己流ルールが強化されていくんだ。
孤立は愚行を正すチャンスを奪い、同じ過ちを繰り返す温床になる。
2. 経済的貧困
最低限の飼育費用すら惜しむ――これも典型的な特徴。
犬の登録をしない、狂犬病の予防接種も受けさせない。混合ワクチンやフィラリア予防薬も。つまり飼い犬に「お金をかけないこと」が最優先になっている。
そして車内放置も、裏を返せば「家にエアコンをつけっぱなしにしたくない」「涼しい場所に預ける費用を払いたくない」といった心理が見え隠れする。
その背景には、「犬は我慢できる」「少しの間なら大丈夫」という言い訳的な自分に都合の良い思考が潜んでいる。
命よりコストを優先することが、どれほど愚かで危険か、本人は理解できていない。
3. 無知(犬の知識が無)
犬は人間のように汗をかけず汗腺が肉球にしかない。体温調整の多くを「ハァハァするパンティング」で行うから、暑い場所での体温調整が非常に苦手。
真夏の車内は10分以内で50度近くに達し、ひとたび熱中症になってしまったら命を落とす危険がある。
50度近くなる車内に、汗がかける人間を放置したら命の危険がある事は普通にわかるはず。
しかし危険な飼主は、そうしたデータや知識を持たない、あるいは知っていたとしても無視する。
「家に置き去りにせず、ここまで連れてきたから愛情がある」「ニュースは大げさだ」という根拠なき思い込みで自分を正当化している。
無知は罪。犬の命に直結する場面では、無知こそが最も危険。
4. 共感力の欠如(他者の痛みを理解できない)
最も根深い特徴がこれ。
危険な飼主は、犬を“命”として扱えず、他者の痛みに想像力を働かせることができない。
- 車内でぐったりしている姿を見ても「まだ大丈夫」
- 苦しそうにしていても「犬だから我慢できる」
- そして責任を問われると「みんな騒ぎすぎだ」と言い張る
普通の飼主なら「もし自分がその立場だったら」と考え、絶対にやらないことを、彼らは平気で繰り返す。
共感力の欠如=心の貧しさが、命を奪う行為を簡単に可能にしてしまう
危険な飼主視点の思考回路
こう言った人間の思考回路は、自分がいかに「楽しくいられるか?」という基本柱で作られている。普通の人には理解も共感もできないような精神構造をしている事が多いんだ。
1. 「これまでも大丈夫だったから」理論
過去に何度か置き去りにしても死ななかった。だから「今回も大丈夫だろう」と思い込む。過去の偶然の成功体験を根拠にする危険な楽観的思考。
2. 「犬は我慢できる」思考
「犬は強いから、ちょっとくらい平気」「暑かったらハァハァして自分で調整できるでしょ」と犬の生理的特徴を全く理解していないし理解しようともしない。
3. 「少しの間だから」錯覚
本人の感覚では「数分のつもり」が、実際には1時間、2時間…と延びても気にしない。犬の命に関わる時間感覚に対しての甘さ。命の重みを軽く見ている。
4. 「連れてきたから愛情がある」自己正当化
「犬を連れてきてあげた」=「いい飼主」のつもり。「家に置いてくるより一緒にいる方がいいだろ」と犬の安全や健康よりも「自分の気持ち優先」。
5. 「周りは大げさ」思考
「ニュースとかは騒ぎすぎ」「俺の犬は大丈夫」と客観的に物事を分析する事が出来ず、「自分は例外」と解釈。
つまりこの手の人は、
- 無知(犬の体の仕組みを知らない)
- 自己中心(自分の都合で犬を扱う)
- 楽観(危険を直視しない)
この3つのレンズを通して物事を見ている。
だから普通の人からすると「ありえない!」ことでも、
本人にとっては「大丈夫だと思った」「俺のやり方は間違ってない」という歪んだ合理性で行動している。
オレは絶対にこうゆう人とは関わりたくない。
危険な飼主が高確率で多頭飼育している理由
オレは、多頭飼育しているのに愛犬家には見えない人ってたまに見かける。そう言った飼主の散歩シーンでは犬はギャンギャン吠えまくっているのに、飼主はながらスマホで、なんでこの人犬飼っているのかな?って思う事がある。
そういった飼主の心理には共通項があるんだ。
なぜ複数飼うのか?心理の裏側
1. 自己満足の拡大
犬を「命」ではなく「アクセサリー」「癒しグッズ」のように扱う。 1匹で心が満たされないから、頭数を増やして“満足感”を増やそうとする。
2. 「かわいそうだから」的な歪んだ正義感
保護犬や知り合いから引き取って「いいことしてる」と思い込む。でも責任や費用を考えないから、結果的にみんな不幸になる。
3. 数=愛情の証明だと思っている
「うちは犬が3匹もいるんだ、犬好きなんだよ」とアピール材料にする。でも、本当は「犬が好き」ではなく「犬を飼ってる自分が好き」なだけ。
4. 制御不能な衝動性
孤立している人ほどブレーキをかけてくれる人がいない。 欲しいと思ったら止める人がいないから増やしてしまう。
結果、
- 経済的にも時間的にも世話が回らない
- 登録・予防接種・医療費を怠る
- 最悪は多頭飼育崩壊(ゴミ屋敷状態、虐待の温床)
危険な飼主にあるのは「自己満足」であって、真の愛情ではないんだ。
彼らの言う「愛犬」は、実際には「愛玩具」なんだ
危険な状況(車内放置・虐待)を見かけた時の対処法
今では動物愛護法で動物の虐待が禁止されていて、危険な飼主に法的強制力を発動する事ができるんだ。
1. 炎天下で車に犬が閉じ込められている場合
- まず 時間との勝負。短時間でも熱中症・脱水で命に関わる。
- すぐに 110番通報。犬の命に危険がある場合は警察が介入可能。
- 車のナンバーや場所、時間を記録して伝える。
- 自分だけでガラスを割る行為はリスクがある(器物損壊になる可能性あり)ので、原則は警察を呼ぶ。
-
商業施設やスーパーなら、館内放送を依頼するのも手。
2. 虐待を受けている犬を見かけた場合
- 繰り返し叩かれる・蹴られるなどの 明確な虐待行為を見たら、迷わず通報。
- 相談先:警察(110番) … 緊急性が高い場合
- 動物愛護センター … 地域の行政機関として対応してくれる
- 保健所 … 管轄によっては動物虐待の相談を受け付ける
- 日常的な虐待が疑われる場合は、日時・場所・写真や動画を記録しておくと有効。
3. 「迷ったらまず通報」
- 「大げさかな?」と迷う人が多いけど、犬の命は一度失われたら戻らない。
- 警察や行政に任せるのが一番安全で確実。
- 行動することで「危険な飼主」を野放しにしないことにもつながる。
※注意
こう言った危険な馬鹿飼主は相手が自分より弱いと思うと攻撃的になったりする。危険な馬鹿飼主に決して特定されないように気をつけて通報して欲しい。
- 通報は匿名でも可能
警察や動物愛護センターへの通報は「名前を出したくない」と伝えれば匿名で扱ってくれる。 - 直接飼い主に言わない
感情的に指摘するとトラブルに発展しやすい。→ 行政や警察に任せるのが安全。 - 証拠を残す
無理のない範囲で、日時・場所・写真や動画を記録。→ 自分は介入せず、通報時に渡すだけでも有効。 - 自分の安全を最優先に
相手が危険人物である可能性を忘れず、勇気ある行動は「直接対峙すること」じゃなく「正しく通報すること」。
当時のオレが動物愛護法を知っていれば・・・
オレは、あの時救ってあげれなかったジャックラッセルの衰弱していく顔を今でも忘れられないし、これからも一生忘れることはない。もし、オレが死んであのジャックラッセルに会う事が出来たら、「あの時は何も出来なくてごめんなさい」と謝りたい。
この記事を見てくれている人はもれなく愛犬家の人だと思う。
虐待されている犬を見かけるなんてことはこのご時世ほとんどないとは思うけど、もしも見かけたら警察や愛護センターへの通報という手段で手を差し伸べてあげて欲しい。
犬は虐待されてても飼主を愛してしまう馬鹿な生き物だけに、どうしても不幸になって欲しく無い。